
山で行われるトレイルランニングレースの安全対策というと、どうしても「派手な装備」や「万が一の救護体制」ばかりが話題になります。
けれど本当に事故を防いでいるのは、見えない工夫の積み重ね。
今回は、表に出ない“安全の仕掛け”について深掘りしていきます。
安全設計は「コース設計」から始まっている
レース主催者が最初に行う安全対策は、「このコースで人が安全に走れるのか?」を検証することから始まります。
これは単なる距離や標高ではなく、万が一の際のエスケープルートの有無や、悪天候時のリスク回避性も含めての話です。
たとえば、山頂直下の細い稜線があったとして、そこを通過させるのか、あるいは迂回させるのかは、主催者の判断にかかっています。「山を全部走らせればいい」という単純な話ではないのです。
“想定外”をなくすために主催者がしていること
安全とは、
「すべてのリスクを把握し、それに対して手を打っている状態」
を指します。
つまり“想定外”があるうちは安全とは言えません。
主催者は実際に山を歩き、走り、地図を引き直し、天候と時間帯ごとの参加者の通過予想時間を作り、給水ポイントの水量を確保し、すべてのポイントで「何が起きるか」を事前に想像し尽くしているのです。
その上で、マーシャル(安全員)を配置したり、チェックポイントに人を置いたり、ドロップバッグの場所を決めたりといった“見える部分”が形になっていきます。
何も起きなかったことが「成功」の証
多くの参加者は、レースを走ってゴールして「楽しかった!」で終わります。
そしてそれが最も理想的な形です。
けれど、その裏で何十人ものスタッフが、山中でずっと見守っていたことを知っている人は少ないでしょう。
誰も使わなかった担架、
必要なかった医療スタッフ、
歩荷されて結局余った水……。
けれど、それで良いのです。
何も使われず、誰も助けを必要とせず終わることこそが、安全設計の正解なのです。
「判断をしなくていいコース設計」という考え方
ある大会では、あえて分岐を避けたコース設計をしています。
それは、夜間や疲労時に「判断が必要な場面」を減らすためです。
例えば、「この道で合ってるかな?」と感じるような分岐があると、参加者は迷い、進むべきか止まるべきか判断を迫られます。
そして、判断ミスが事故に直結します。
そのため、主催者はわざわざ遠回りになっても「迷いようのない一本道」を選ぶのです。
これもまた、レース中には気づかれない“見えない安全”のひとつです。
見えない努力を理解してもらうには
近年はSNSの影響もあり、「派手さ」や「話題性」を求める大会も増えてきました。
けれど、本当に事故を減らしたいのであれば、主催者自身が「派手にしない努力」をすることも必要です。
それと同時に、参加者やボランティアに対して「なぜこういう運営なのか」という説明も大切です。
エスケープルートの存在、関門の意味、装備義務の理由……。
安全とは“共有”されて初めて力を持つのです。
事故を未然に防いだ話は、表に出ない
レース中に誰かが低体温で倒れかけたとき、たまたま近くにいたスタッフが気づいてブランケットを渡した。
体調不良を訴えた参加者をすぐリタイア誘導できた。
こうした出来事は、多くの場合ニュースにもなりません。
でも、それこそが“本物の安全対策”の成果なのです。
事故にならなかったことで、誰にも語られない。
そんな“成功”を、私たちはもっと知るべきではないでしょうか。
最後に──「失敗から学ぶ」だけでなく「成功を分析する」
事故が起きたときは、みんな原因を追究します。
でも、事故が起きなかったときに「なぜ無事だったか?」を考える機会はあまりありません。
だからこそ、「無事に終わった大会」からも学びを得ることが、今後の安全につながります。
主催者の経験、選手との共有、地元との関係性、すべてが安全の土台になっているのです。
安全とは、すべてが終わった後に「何もなかった」と言えるための準備。
それは、誰にも気づかれなくて良い、誰にも知られなくて良いのです。